青の6号

The end meets the beginning.

プラトンとプランクトン4を読んで(3)

 

「そんなにいらない」を読んだ。

 

職業柄僕はつい、英語にするとどうなる? という視点で見てしまうけれど、この話も例にもれず、人称探しから英文構成をぼんやり考えてしまった。で、この話はかなり時制で苦労しそうだなと思った。そして、he、she が登場した時点で、ジェンダー問題の隠し味が損なわれてしまう。だから英訳は難しいなという結論になった。それくらいこの短編は、ジェンダーに関する読み手の思い込みを誘う面白い構成だったと思う。

二月が終わり、長い休みも折り返しに入っていた。

絵里花は若い。僕も彼女くらいの歳に、同じような経験をしたかもしれないような気がする。いや、「同じ経験」ではない。同じような胸の締め付けられ方といえばよいだろうか。

なめこさんはあたかも自らの体験を語るかのように第三者視点で話を描く。ときおり絵里花の心の中に深く入り込みながらの語りなので、読み手は一人称視点で読まされてしまう。つなぎ目が薄く、振り子のように読めてしまう。場面転換が巧妙で僕は何度か読み返して意味を理解しようとした。こういうところは訳者泣かせだ。いやいや、英語に訳す必要はないのだけれど。(笑

ただ湧き上がる心情を描けばよかったというようなストーリー展開は、気持ちが先行して言葉が後追いになる場合もあるが、僕は時々コンテキストを見失う場面があった。それは僕自身の理解のなさが問題だろう。

絵里花たちの服のデザインを思い浮かべる。デニールのタイツって何だ? 日高の容姿を修正する。えっちゃんの人格を再構築する。読んでいる途中でプロファイリングし直す。やはりジェンダーの問題はこの話の面白さだ。

 鍵を返すことに決めてから、もう一年は経っているはずだった。

別れは人生の至る所で起こる。絵里花と日高も一年前に別れている。同じような経験というのはこんな別れ方をした覚えがあるということだ。そのとき僕は日高側だったような気がする。だからというわけではないが、僕は日高のざっくばらんさが好きだ。

どんな別れ方をしのだろう? 二人はこれからどうなるのだろう? 時々気になってしまう。けれどきっと二人は思い出の中でしか出会うことはないのだろう。悲しいけれど、それを二人の糧にしてゆくしかないのだ(たぶん)。

絵里花は言う。

にんげんのからだを覆っているのは、たった一枚の皮膚なのだ。

この表現にドキッとした。そう言えば、私たち人間は継ぎ目のない一枚の皮膚をまとっているとも言える。トポロジー的には球体を覆うのが皮膚で、球体の中にいるのが私たちだ。こんな感覚は持ったことがなかった。面白い発想だ。「今自分は瞼の裏側を見ている。」という発想も。

そんなにいらないなあ。

(そうか、ここでタイトルが出るのか!)何となくHとMの二人を重ね合わせてみる。これは絵里花視点故に起こる現象。できれば絵里花には幸せになってほしい。だから僕は絵里花の携帯に非通知で電話して、こう言うんだ。「バッグにある例の封筒だけど、港に捨てちゃえば?」

きっと近い将来、僕は誰かと山下公園へ行き、くじらの背中に乗ってキングとクイーンとジャックを指さして、知ったかぶりの説明をするぞ。