青の6号

The end meets the beginning.

「スノビズム」犬尾春陽を読んで

 この小説は静かな恋愛物語だ。読後、静かに心に訴えてくる淡く切ない何かを感じた。

 文体に慣れるのに少し時間がかかった。書き手は頭の回転が速いのだろう、長めの文に出くわすと、僕はうっかり入り口の内容を忘れてしまい、出口とのつながりを見失ってしまう。そのたびに少し戻るのだが、そのうち慣れてきて、文の途中のひねりを予測しながら読めるようになった。

 スノビズムとは、プライドが高くて、かっこうをつけてる様を表す。COBUILD の snobbish の項にはこんな説明がある。too proud of their social status, intelligence, or taste。かっこうをつけるあまり、正直に生きられない、素直に自分を表現できないということだろうか。しかし僕は、「私」にもNにもスノビズムさは感じなかった。人間はだいたいこんな風に生きているのではないだろうかと思う。あるいは、スノビズムさを人はだれしも備えているのだということだろうか。

 この話の主人公「私」は彼のことをNと呼ぶ。あえて偽名の漢字表記にせずアルファベットで呼ぶからには、そこに特別の思いがあるはずだ。Nから始まるその人の本名は書けないが、その人を偽りたくないという思いの表れだと思う。お話は、そのNの行動と「私」の心理描写を描きつつ、ふたりの関係が徐々に解き明かされていく。いや、「私」が気づいていくというべきか。

 文体に慣れてしまえば、読む速度も速くなった。そして中盤にさしかかるころ、情景もしっかりと浮かぶようになってきた。情景はとても現実的で、実話かなと思える節の描写が随所に見てとれた。

 読み終えて心に訴えてくるこの淡く切ない何かは心地よい。涙の混じった悲哀のくせに、心地よい。どうしようもないことを目の前に、どうしようもないからという理由で、ただただどうしようもないことを眺めることの心地よさなのだろうか。僕は「私」に共感する。